宮沢賢治の「農民芸術概論綱要」を実践し、21世紀の農と生活を模索する
東京賢治の学校代表
詩人、科学・物理学者、地質・鉱物学者、作家、教育者等であった宮沢賢治(明治29年〜昭和8年)は大正15年3月、花巻農学校の教師を依頼退職し、本物の百姓を育てるべく百姓になり、「農民芸術概論綱要」を著しました。わたしたちはこれからの地球において人類が生きていく指針として、この綱要が決して古いものではなく、それどころかさまざまな問題をかかえて行き詰っているこの日本や世界の現代社会において、これからますます実践していく必要のある重要な人類の遺産であることに気づき、これを実践していく学びの場として、1994年4月、賢治の学校を立ち上げました。この綱要の一部を紹介します。
……我等はいっしょにこれから何を論ずるか……
おれたちはみな農民である ずゐぶん忙がしく仕事もつらい
もっと明るく生き生きと生活する道を見付けたい
われらの古い師父たちの中にはさういふ人も応々あった
近代科学の実証と求道者たちの実験とわれらの直観の一致に於て論じたい
世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない
自我の意識は個人から集団社会宇宙と次第に進化する
この方向は古い聖者の踏みまた教へた道ではないか
新たな時代は世界が一の意識になり生物となる方向にある
正しく強く生きるとは銀河系を自らの中に意識してこれに応じて行くことである
われらは世界のまことの道を索ねよう 求道すでに道である
誰人もみな芸術家たる感受をなせ
個性の優れる方面に於て各々止むなき表現をなせ
然もめいめいそのときどきの芸術家である
個性の異る幾億の天才も併び立つべく斯て地面も天となる
……われらに要るものは銀河を包む透明な意志 巨きな力と熱である……
そこでわたしたちは、日本のどこよりも早く有機農業に取り組んできたこの綾町で、未来の農業と言える自然農の実践場を建設したいと、強い希望を抱くようになりました。綾町は、日本のどこよりも強く、未来の子どもたちに責任を持てる農業に、より深い関心を抱いていると確信したからです。有機農業だけでなく、さらにより完全な循環型の農業の研究と学び・普及なくして、子どもたちの本当の心やからだの健康、未来への生きる希望は生まれません。もちろん農業だけでなく、その農業に合った生活文化の創造、さらに各自が各地の自治体づくりに参加できる力も格別各異の方法で取り組まなければなりません。
未来の子どもたちの健康な生存への想像力を失うことなく、人類のこれからの生存の仕方を自然のいのちのめぐりの中でとらえ、学びと遊び、生産と労働、消費と文化芸術活動などに取り組んでいきます。
これからの農業、自然生態系に合った生活のあり方、芸術文化教育や生産、癒し、それぞれを尊重し合える人間関係づくりなどに強い関心を持った人たちが、リズムある共同生活をしながら愉快に明るく生き生きと生きる道を創造していくことに価値を置いた場づくりをします。
そんな学びと生活、実践の場として綾自然農生活実践場は存在します。(2000年4月)
【付記】2013年10月7日、鳥山敏子先生が永眠されました。敏子先生の教育と自然農への情熱の灯を絶や
さないように、ここ綾自然農生活実践場の役割を大切にして参りたいと思います。皆様方のご支援を心か
らお願い申し上げます。日本の未来にほんとうの希望と自信を子どもたちに引き継ぎたいものです。
綾自然農生活実践場がある綾町は、林業が衰退する昭和40年代には夜逃げのまちと言われるほどでした。当時町長をされていた郷田實氏は、故郷の森を命がけで守りながらさまざまな取り組みをされました。そして2012年7月、綾町は自然と人が共生するまちとして、ユネスコ・エコパークに登録されました。その礎を築いた郷田實氏は、鳥山敏子さんと意気投合されて、自然農を学び実践する学び舎をここ宮原に建設し、設立に全精力を傾けました。郷田實氏は、惜しくも2000年の開校を前にこの世を去りました。
「ほんものとは…自然をよごさない…人をだまさないもの…」という郷田實氏のメッセージは、多くの人々の心のなかに生き続けています。(写真:実践場2階 祭壇)
賢治の学校・綾自然農生活実践場は、子どもたちの未来を本気で考え、農業・教育・芸術・食育などを中心に学び合うところです。答えはありません。いのちの根っこを真剣にみつめながら、生き生きと生活する道を訪ねるところです。綾の広大な森や清らかな川や爽やかな風に包まれながら、放射能汚染や資本主義経済に負けない価値を生み出すイーハトーバーになる道を訪ねています。 (責任者:森下純吐)
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